こんばんは^ ^
深夜の更新にも限らず読んでくださっている皆さん、ありがとうございます。
もしかしたら眠れずに読んで下さってる方も中にはいらっしゃいますよね。
まず皆さんの心身の安定を願わせて下さい。
さっそく本題に入ってしまいますが、タイトル通り今回の私のブログに記録しておきたいテーマは「理解」についてです。
PMS/PMDD/うつ病と私は経験しておりますが、精神的な病はもっと沢山あり治療をされている方も沢山いらっしゃいますよね。
それでも何故か世の中ではまだあまり理解されない風潮があります。だからこそ、自分が病気になった時人に打ち明けるのはとても怖くて勇気が必要になります。
ただの風邪だったら「風邪ひいて病院行った」なんて日常会話のように言えるのに、「うつ病になったから病院行った」とは何故かかるく言えないのは私だけでは無いと思います。
相手の反応もきっと変わってくると思います。何が悪いのか分かりません。何が違うのか分かりません。寧ろ風邪より厄介で、つらい副作用のある薬での治療や長い時間と周りの理解が必要になってくる病気なのに、どうして根性論や甘え、怠けなどと怒る方がいるのか…私はとても不思議でそんな人達が怖くて、悲しかったです。
でも病気になって、自分の状況を客観視するために始めたSNSをきっかけに、同じ様な病気の方はとても繊細で努力家で、自分に厳しくて人に優しい方が多いと気付きました。
ただ、じゃあ自分はどうなの?と考えた時に周りの方と比べて卑下してしまい、自分自身で「私だけは甘えているのかもしれない…怠け癖がついて、根性がないだけなのかも。」なんてネガティブな思考も生まれたのも事実です。
自分は皆さんの様に優しくなんて無かったですし、寧ろかなりの捻くれ者だったからです。
ただ、当たり前の事が出来なくなって焦りを感じて、今日出来たことをSNSに書くたびに褒めてくれる方が多く、私や周りの人が当たり前にしていた家事や生理的行動はこんなにも難しく大変なことで、それを当たり前に出来る事がいかに幸せな事かと気づけました。
そして、どんなに出来ない自分に苛立ち嫌いになっても、一番に自分自身を褒めて信じてあげる事が回復への第一歩だとも学びました。
今は【褒め療法】というものを大切に取り組んでいます!
しかし、ちょっとした事でその意思が崩れる程に心が脆いのも現実でした。
先日私は会社復帰についての面談を都内のとあるカフェで上司と待ち合わせをして、行ってきました。
その上司の方はやはり厳しい時代を生き抜いてきた年齢だからなのか、私の病気に理解しようという気持ちすらないのが言動から伺えました。
休職期間を頂くための面談をした時も、散々人前で根性論を悲しい程に浴びせられました。
それがトラウマになり、その日も恐る恐る会いに行きました。それだけでもかなりのストレスを感じていたのか胃がキリキリと痛み、話している最中も笑顔を作り頷くのが精一杯でした。
もちろんその日の面談でも、カフェという静かな場所なのに大きな声で話されました。
内容的には、年内一杯しかもう待てないので復帰をするなら1月からフル勤務の完全復帰でお願いしたい。との事でした。
私は内心、まだ食事も睡眠もまともに整っていないのに1ヶ月後に完全復帰なんて出来るわけがない…と思ってしまったのです。今こう思い返すと弱気でとても情けないですが…。
ただその日に一番傷ついて、今までの中でも忘れられない言葉がどうしてもあります。
現にその言葉で病気が悪化してしまった事もありました。
「もっと根性があると思ってたから期待外れだった」
「根性があれば1月から復帰するだろうし、根性が無ければ君は退職だろうな」
「よくお前の彼氏もこんなのと付き合えるな。彼氏がすごいと思うよ」
今書き出して見ても、防衛本能が働くのか心が痛みもしません。虚無という言葉がよく似合います。私は昔から傷つく程に笑顔で誤魔化す癖がありました。だからその時も笑顔を絶やさまいと笑いながら話しを進め、仕方なくその条件で飲み込み一刻も早く帰りたくて店を出ました。
上司と駅前で別れた途端に、頭の血がさーっと引いていき、目の前が真っ暗になり、今にも倒れそうな体を無理矢理動かして帰りました。
暖房のきいた電車に乗り、イヤフォンをつけると先ほどの光景と交わした言葉、将来への不安、家族への申し訳なさ、彼の事まで言われた悔しさ、何も言い返せなかった自分の不甲斐なさが一気に込み上げてきました。
涙が出そうになるのを堪えると、今度は酷い胃痛と吐き気に襲われ、一人で帰れなくなり、母に迎えに来てもらってなんとか帰宅しました。
魂が抜け落ちて、体から筋肉が無くなってしまったかのような感覚でベッドに倒れ込みました。心配した母が私から話をゆっくりと聞き出してくれました。
ぽつりぽつりと言葉にする内に、感情が大爆発を起こし大人気ないですが、子供のように泣きじゃくってしまいました。
悔しくて仕方がなかったのです。
それでも…どこか諦めている自分もいました。
何を諦めているのかというと、この病気を理解してもらうという事です。
何故なら、私も心の病に対して実際に自分がなるまではとても無知だったからです。それにこの計り知れない不安感や、恐怖は病気にならなければ理解出来るものではないと、実感したからです。
家族やお付き合いしている方、親しい友人ならばまだ話し合えば理解しようと努めてくれる可能性はもちろんありますよね。
でも近しい存在の人とですら、理解し合えずすれ違いが起こるというのに、このような病気を経験した事のない上司にそれを求めたって無理なのです。
今は分かってくれる人が分かってくれればいいと割り切れるようになりました。大切な存在の人達とすれ違いが起きても、それは体験してないのだから仕方がないと思える様にもなりました。ただ、本当に分かって欲しい時は言葉でちゃんと伝えれば、気持ちの持ち方が変わるという事も知っています。
だから、そんな時は経験者の多いSNSの皆さんにとても救われていて、感謝しても仕切れないのです。ありがとうございます^ ^
正直、そんな上司の下でまた働くのは計り知れないストレスだと想像できます。
ただ自分でもバカのつく頑固なので諦めきれないのが本音です。
なので、私はその上司よりも目上の人に相談を持ちかけました。
すると「年内一杯で治らない様ならば、3月に完全復帰という条件で会社と掛け合う事もできます。医師と相談の上またご連絡ください」と有り難い意見を頂けました。
なのでタイムリミットとしてはあと2ヶ月半の休職が可能になりました。
私はそれまでに通院と薬で治療をし、お医者さんと相談して決めようと思っています。
2ヶ月後、考えなくても分かるほど病気が改善されなかった場合は潔く諦めて退職するつもりです。
でも、少しでも可能性が見えて、病院の先生からも了解を貰えたら最後のチャンスだと思って頑張りたいのです。もしそこでまたつまづいてしまったら、それこそ私も諦めがつきます。
これからは今まで以上に会社と病院と家族と彼と、そして自分と向き合う日々になりそうです。
私の戦いはこれからなんだな…と感じています。
でもいつかこんな事もあったなと笑える日を願って私は生きたいと思います。
自分ができなかった無理な理解を人には求めず、今度こそ崩れ落ちない強い意志を持って、どんなに死にたい日があっても、とにかく、とりあえず私は生きようと誓いました。
その為にも皆さんどうぞこんな私ではありますが、これからも見守っていて下さると嬉しいです。
ブログを読んでくださる皆さんと、SNSでの皆さんの優しさが今の私を変えてくれて、優しさを教えてくれて、支えてくれていて、心の拠り所になってくれています。
どうか皆さんも、とりあえず生きてみて下さい。
心身共に波があるのはとても辛いですが、皆さんも一緒にいつか笑える日が来ることを、心から願っています。
今までで一番長いブログになってしまいました💦
こんなに文章を読まされる方も疲れてしまいますよね。。最後までお付き合い下さった皆さんに心から感謝致します。
本当にいつもありがとうございます🌼
また気まぐれではありますが、更新するのでよろしくお願いします。
◼︎美月/Twitter
@pms_pmdd00
闘病ブログ/美月