美月の闘病ブログ

PMS/月経困難症/うつ病の闘病ブログです。

リワークの失敗、そして厳しい入院生活。PMS/PMDD/うつ病

 

皆さんお久しぶりです。

この長い期間に色々な事が起こり、ブログを書く余裕が無く途切れてしまい申し訳ございません。

またこのブログを見つけて下さり、ありがとうございます。

 

私は今年の春、リワークの体験を始めました。ですが、まだ精神状態が安定していなかったのかその生活、環境の変化は悪い刺激となってしまいました。

スタッフさんや、リワークでリハビリされている方々はとてもあたたかく優しい方ばかりでした。ただ会社のような空間、システムに入社当時の光景がフラッシュバックしてしまいました。

意気込み、これで一歩踏み出せた!と思っていた私はそんな事で挫けた自分にショックと怒り、そして周囲の方々への申し訳なさや罪悪感、情けなさに押し潰されてしまったのです。

一先ず、リワークへ連絡をして体験を停止してもらいました。

後日、今までに無い程の希死念慮が押し寄せてきたのです。

 

※ここからは気持ちを悪くさせてしまう可能性がありますので、苦手な方はお控えください。

 

まず、一人になる夜がひどく恐ろしく不眠になりました。不安な気持ちに耐えられず、睡眠薬と頓服薬を飲むのですが、効き目を感じられず一つ、また一つと数を増やしていき指定された数以上の薬を飲んでいました。

そうすると、その時の辛い気持ちを忘れ記憶を失い気がついたら朝になるので、私は逃げるように薬を飲み続けました。

その内、それだけでは希死念慮が抑えられなくなり沢山の薬とお酒を飲み、リストカットと呼ばれる自傷行為を繰り返しました。

今思えばかなり危険な行為です。

記憶を失うという異常も起こり、痛みも感じず、意識は朦朧としていて、力加減も分かりません。

そんな私を母は見逃しませんでした。

朝目覚めると、記憶にない手首の包帯に胸が痛くなったことを覚えています。

そんな行為を見兼ねた母は私と病院で診察を受けました。

 

〝この行為をやめられなければ入院するしかない〟  

 

そうお医者様から助言をもらい、私は金銭面的にも、入院にも抵抗があったので、我慢する事に必死になりました。

ですが、3日も経たず私の意思は崩れお酒と薬に手を出しました。

母にバレて止められると、こっそり夜中にコンビニへ行きお酒を買ったり、怒り狂ったりと、最早アル中の一歩手前でした。

希死念慮に抗えず、お酒と薬に依存をしている…その事実すら受け入れたくありませんでした。ですが、現実に目を背けることも出来ませんでした。

普通になりたい、変わりたい…その一心で私は家族とお医者様と相談し、精神病棟に入院することを決めました。

 

入院先の病院へは見学に行き、印象が良い所を決めたつもりでした。

ですが当日担当となった先生は、冷たく淡々としていた印象で診察もうつ病なのに、双極性障害と誤診を受け、私には合わない薬を出されました。

私は何の説明も受けなかった為に、何の疑いもなく毎回出される薬を飲み続けました。

入院した部屋は、見学させてもらった穏やかな病室ではありませんでした。

そこは閉鎖病棟の〝保護室〟と呼ばれる場所です。

簡単に説明をすると、隔離されるような個室でナースコールも無く、こちらからは開けられないようドアノブの無い扉、ベッドのすぐ横にはトイレがあり、窓はあるものの葉が生い茂っていて外の景色は見られません。

四六時中、部屋の外からは色んな患者さんの叫び声やドアを叩く音、歌声なんかも聴こえてきました。

言葉は良く無いかもしれませんが、まるで牢獄のようでした。

両親に電話をすることも許されず、人間扱いされない環境に私の精神はおかしくなっていきました。

私物もほとんど取り上げられてしまったので24時間する事と言えば、運ばれてきたご飯を食べるか、寝るか、許された数少ない私物の本を読むかでした。

お菓子なんかも持ち込みは許されていましたが食欲も減退し、食事も喉を通りませんでした。

 

私は想像以上の苦しい入院生活に、こんなに涙って出るの!?と驚いてしまうほどに、毎日泣いていました。

寝る前も、朝起きてからも、ご飯を食べている最中もしきりに涙が出てくるのです。

浮かんできたのは、家族と過ごす平凡な日々や、彼とデートした楽しい思い出、そして私がしてきた自傷行為の数々の重大さです。

私はこんな部屋に入れられてしまう程に酷い行為をしていたのか…とそこでやっと自分のしてきた事の大きさに気付いたのです。

 

数日経って母がお見舞いに来てくれた時には「お願い、家に帰して!もう絶対自傷行為なんかしない、お酒も飲まない!帰りたい!これ以上ここにいたらおかしくなる。」と泣いて縋りました。1分でも1秒でもそこに居たく無かったのです。頭がおかしくなる寸前のように感じていました。

母がお医者様と相談をして、今後私がする行為の責任を全て負うと同時に、また入院する時は救急での入院は出来ないので順番を待つという条件で、私はその日、退院しました。

 

久しぶりに家に帰った私は、本当に病院の外の世界が愛おしくて仕方ない程で、やっと息ができたとういう感覚に陥るくらいの感動を覚えました。

あそこに居なくていいのなら、どんなに強い希死念慮が来たって自傷行為なんて我慢してやると、そう強く決心しました。

 

あれからもう数ヶ月が経ちますが、退院してから私は自傷行為を一切していません。

したいとも思わなくなりました。

極端ではありますが、あの頃の体験がトラウマになり、お酒も飲めなくなりました…。

今でも希死念慮はやってきますし、心身共に不具合も多いです。

でも、それでもあの入院生活をきっかけにかなり私は良くなりました。

 

後々、いつも通っている病院の主治医から聞いたのですが、荒治療ではあるが私がこうなる事を計算して入院させたそうです。

もう主治医には本当に頭が上がりません…。

誤診についてはやはり誤診だったようで、飲んでいた薬も誤っていた為、身体から薬を抜くためにしばらく断薬を続けました。

離脱症状が酷く、1ヶ月近く苦しみましたが今は漢方と睡眠導入剤のみの治療でなんとか過ごしています。

 

私は自分を傷つけることは、大切な人も傷つけることなんだと学び、日々の生活の有り難みを今も噛み締めて生きています。

 

まだ乗り換えるべき問題は多いですが、ゆっくり少しずつでも変わっていけるよう頑張りたいです。

 

閉鎖病棟に悪い印象ばかり覚えてしまいましたが、ただあそこに入院している患者さんたちは良い方ばかりでした。

私が保護室の扉を解放される時間に、少しおしゃべりした優しいおばさんが居ました。

大広間で一人泣きそうになっていた私にいつも気がついて声をかけてくれました。

「おばさんでも寂しいんだもん。まだ若いんだから寂しいのは当たり前よね」

「可愛いね。おばさん可愛い子は見ればちゃんと分かるのよ」

そんな優しい言葉を掛けてくれて、その瞬間だけは生きた心地を感じ救われていました…。

退院する時にも偶然お会いしたのですが「あなたみたいな良い子、こんな所に居たら駄目よ。退院おめでとう」と言ってくれたこと、今でもこれからもずっと忘れません。

 

入院されている方々は、心ある人間です。

どうか、少しでもあの空間が穏やかなものに改善される事を願い、心優しい患者さん方が一刻も早く退院して、いつもの生活を送れる事を願います。

 

苦しい事の方が多い時間で、トラウマになったことも事実ですが、私は入院してよかったと思っています。

あの時の私はそうでもしないと、自分のしている事への責任感が皆無でした。

これからはもっと、自分の行動を客観視して、周囲の環境に感謝して、生き方を改めたいと思いました。

 

長い話にお付き合い下さった皆様に感謝致します。

不快にさせてしまったら、申し訳ございません。

次のブログからは、イラスト漫画を交えて投稿していきたいと思います!

またこのブログが目に留まった時はよろしくお願い致します。

 

 

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