こんばんは。
今夜は希死念慮について、なぜそう言う考えに至るのか書いていきたいと思います。
そんな今も希死念慮が強く出ています。
私の場合まず希死念慮を生み出すのは劣等感や、焦燥感、不安感です。
人と比べて、友人はみんな仕事を頑張って趣味まで楽しんでいる生活をしているのに、私は趣味を楽しむどころか仕事もせずに家でダラダラしていると思ってしまいます。
健常者のように一刻も早く働きたい。
でも心も体も思った通りに動いてはくれません。
その悪循環からの焦燥感。
この先このままだったらどうしよう、誰も頼りたくない、自分の足で立ちたいのにという不安感。
私は生きてても社会の役にも立てない。
家族の重荷になって支えにもならない。
友人と対等にお喋りできない。
彼に負担をかけるばかりで助ける事ができない。
こんな私はいない方がいいんだ。
そう思ってしまうのです。
私がいなくなれば、周りの人への負担は減るし、お金もかからなくなる。
良い事づくめじゃないかと思ってしまうのです。
ただ行動に移せないのは、失敗した時が怖いから。
もっと周りに迷惑をかける可能性が大いにある。
もし後遺症が残ったら?
延命治療を受けることになったら?
そう思うと行動にも移せません。
ただ死にたい消えたいと思うばかり。
その気持ちは毎夜毎夜やってきて、私を苦しめて虚無感でいっぱいにしていきます。
何もできない無力な自分を思い知らされて、人と比べて、落ち込んでキリがありません。
自分は自分、人は人。
少しずつ変わっていけばいい。
焦る必要は無い。
人それぞれペースやタイミングがある。
そんなことは分かっています。
分かった上で落ち込んで、希死念慮に蝕まれてしまうのです。
こうなったらもう薬に助けてもらう他方法が無くなり、無理矢理思考をシャットダウンして、眠りにつきます。
そして目覚めたくも無い朝がやってきて、生きたくない時間が流れて、ただ出来ることを探して過ごします。
自分を満たすようにして、必死に毎日できることを探します。
時には、気分転換に遠くに出掛けることもあります。
友人と遊んでみたりもします。
でも何をしても楽しいと思えなくて、何をしていても悲しくて、辛くて苦痛なんです。
生きてる時間が全て苦痛でしょうがありません。
そんな私と関わってくれる人にも申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
そしてまた希死念慮…この繰り返しです。
健常者だった頃でも、落ち込んだり、不安になったり、泣いたり色々ありました。
でも病気になってからの希死念慮や不安感はまた違う苦しさがあります。
例えるなら生き地獄のようです。
なんで私がこんな思いをしなきゃいけないのか正直わかりません。
今までやる事はしっかりやって生きてきたのに、どうして私が?
そんな気持ちでいっぱいです。
悔しい気持ちと悲しい気持ち、情けない気持ちでいっぱいになってしまいます。
この負のループから抜け出すには、考え方を変えなくては…そんなこともわかっています。
ただ、不安感や、焦燥感や、希死念慮はなんの前触れもなくやってくるので、考え方一つで消せるものではないのです…。
私は薬でこの気持ちをシャットダウンする方法しかわかりません。
リラックス効果のあるものは全て試しましたが、薬に敵うものはなかったです。
こんな自分が寛解できるのか本当に不安です。
私の周りにいるもともとうつだった方々は、約一年ほどで寛解していて、私はもうすぐニ年目になるのにこんな状態で…。
人それぞれペースがあるのは分かってはいますが、どうしても焦ってしまいます。
本当に寛解できるのか。
健常者だった頃のようにとまではいかなくても、普通に働けるようになるのか。
私の夢は自立して家族や彼、大切な人達を支えることです。
その夢が叶えられるのかとても不安です。
そんな思いが巡り巡ってる夜です。
明日は乗り気ではないけれど、こんな気持ちで家にいるよりはマシかなと思って予定を入れました。
いつも何か予定を入れたり、本を読む時は、藁にもすがる思いです。
この出来事が何か気づかせてくれるかもしれない。寛解に繋がるかもしれない。
そんな希望は捨てきれずにいます。
でもそれだけが、今の私のまだ良いところなのかなと思えます、
期待はしないけれど希望は捨てない。
それだけは忘れずにいたいです。
今夜も薬を飲んでなんとか寝ようと思います。
こんな私の一人語りに最後までお付き合い下さった皆さん、本当にありがとうございます。
@runa_m_y